「すべては“人材”なんだ」

みなさん、こんにちは!!

多くの介護事業者や他業界の企業を

支援させていただき、

やはり「企業は人なり」という

ことなんだなぁ、とつくづく

感じることがあります。

私が今感じている「人」とは、従業員

の方々だけではなく、「経営者」も含めた

「人」です。

中小企業はもとより、大企業に至るまで

経営者の考え方や資質一つで、企業は大きく

変わります。


事業経営者の「気づき」と それを実践する

「行動力」と「持続力」があれば、組織は

大きく変わっていくものだと感じます。

経営者の「気づき」で、大きく会社の変貌を

遂げたブライダル会社「ノバレーゼ」社

を今日はご紹介いたします。





さて、近年、快進撃を続けている
ブライダル会社があります。


「ノバレーゼ」。


浅田剛治社長は2000年に同社を創業し、
僅か10年で東証一部上場へと導きました。


そんな浅田さんが語った
「経営の極意」とは――。


┌───────今日の注目の人─────────┐



     「すべては“人材”なんだ」


     浅田剛治(ノバレーゼ社長)
   
      
   ※『致知』2014年11月号
     連載「私の座右銘」より


└───────────────────────┘

「父が倒れた。すぐに戻ってきてくれないか」


それは大学卒業後、
私がリクルートに入社して1年半が経った頃のこと。


実業家だった父が病に倒れ、私は急遽、
父が名古屋で営んでいたウエディング会社に
入社することになったのです。


肩書こそ「主任」でしたが、
実質的には父の後継者として、
経営の舵取りを任されたのです。


1993年、私がまだ
右も左もわからない24歳の時でした。


そして、いざ入社してみると、
社内は惨憺たる状況を呈していました。


社員は地元の不良上がりが勢揃いで、
真面目に働こうという意識は全くない。


仕事の話をしようにも、
そもそも経営用語自体が通じないのです。


当然、経営は赤字でしたが、
父の他の不動産事業からの資金援助によって、
辛うじて成り立っているという危機的状態でした。


しかし、呆れ果てた私は、


「こんな滅茶苦茶な状況にしたのは自分ではない。
 責任は父親にある」


と、入社から1年ほどは、
目の前の困難から目を背け続けていたのです。


そんな私が本気で会社を立て直そうと
決意することになったのは、
ある社員の涙ながらの訴えがきっかけでした。


「浅田さん、この会社にいても未来はありません。
 一所懸命働こうとしても、
 楽をしようとする周囲の人たちに
 寄って集って足を引っ張られる……。
 私は辞めようと思います」


彼女の訴えを聞いた私は、


「ああ、自分は何をしていたんだ」


と、頭をガツンと殴られる思いでした。


そして、リクルートを退職する際に、
ある役員の方から教えていただいた言葉が
ふっと心に浮かんできたのです。


「リクルートは、創業者のカリスマだけで
 ここまで成長したのではない。
 創業時から不相応な人材を採用し、
 そんな優秀な人材が
 やる気になってくれるための施策を考え、
 実施し続けてきた。すべては“人材”なんだ」


自分はこれまで責任を放棄し、
苦しい現実から逃げ続けてきた。


しかし、ここで一所懸命働きたい
という人材が1人でもいるのなら、
私がこの会社を立て直さないといけないはずだろう。


そう固く決心した私は、
まず社員が幸せに仕事ができない限り、
いい仕事もできるはずがないと、
社内の改革に徹底して取り組んでいったのでした。


当然、楽をしたい社員は猛反発。


「おまえが辞めろ」と
社員に取り囲まれる事態も経験しました。


それでも諦めずに、少しずつ、少しずつ
人材の入れ替えを進めていき、
3年目には会社のために尽くしてくれる
30人が集まったのです。


そして、人材の刷新に伴って、
経営も軌道に乗り始めました。


様々な事業に取り組んでいく中で、
1999年、名古屋の住宅街にオープンさせた
ハウスウエディング会場「オ・バルキーニョ」が
初年度から稼働限界を超える大成功を収めたのです。


気がついてみると、入社時の売り上げを、
約5倍に急拡大させていました。


いかがでしょうか。

経営者の方々の実行力と継続する「力」

そして、その起爆剤になる「気づき」

を教えてくれています。

何かのご参考になれば幸いです。



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