保育DXで育児の場支える 悩みは我が事、元SEの情熱
日本経済新聞 朝刊 社会2(31ページ)2026/7/20 2:00 より
元SEの経験を生かし、保育業界向けDX支援会社を設立した麦島さん「仕事も子育ても、自分の手で」。そう願いながら今もなお、出産を機にキャリアを断念する人は少なくない。麦島菜津子さん(41)もその一人だった。
子育て期間中に直面した孤独や不安は、やがて新たな挑戦への原動力となった。保育園のデジタルトランスフォーメーション(DX)を支援する会社を2025年に立ち上げた。
子どもを産むのにハードルが低い世界に少しでも近づくよう、保育現場から変えていきたい――。自身の経験に根ざしているからこそ、本気でそう思っている。
08年、大手シンクタンクに入社。システムエンジニア(SE)としてシステムの設計・開発に携わった。顧客の要望を形にする仕事にやりがいを感じる日々を過ごす中、同じ会社で出会った夫と結婚し、26歳で長男を出産した。
10カ月の産休・育休中に部署の再編があり、復帰すると経験したことのない保守の業務を任された。
時短勤務を選択したが、子育て中でも仕事の手を抜きたくはなかった。システムに不具合があれば夜中でも対応する。仕事が一息つくと、今度は夜泣きする長男に起こされた。1日2~3時間しか眠れない日々が続いた。
「このままでは体が持たない」。子どもが必要とするときにいつでもそばにいられる存在でありたい。子育てを最優先してキャリアを考え直した。後ろ髪を引かれる思いで29歳のとき、退職を決断した。
育児中心の生活が始まると、新たな悩みが待っていた。負担が大きい割に、いくら頑張っても周囲から評価されるわけではない。もっと多くの人が関わらないと無理があると感じた。
社会から隔絶される不安にも襲われた。「誰かの役に立つことをしたい」。前に進んでいる実感がほしかった。
発想を変えてみた。悩みの種である保育を正面から勉強しようと、保育補助として働き始めた。子どもが寝ている間など、1日2~3時間を勉強の時間にあて、家事や育児の間も試験科目の音声を流して耳から覚えた。次男を出産した15年、保育士の資格を取得した。
保育経験が5年となる頃、園の運営法人の事務局長から「業務改善を担ってくれないか」と頼まれた。SEとしての経歴を見込まれてのことだった。
海外の保育事例を学ぶため昨年から大学院にも通っている
連絡帳や保育日誌など、現場では「紙」が当たり前。子どもが帰ってから、保育士は膨大な書類業務に追われていた。
顧客からニーズを聞き取ることはSE時代に培った。保育士、看護師、調理師など現場の声に耳を傾け、不便さや課題を丁寧に洗い出した。
「勤怠管理のシステムを導入したい」「1人1台パソコンを使えるようにしたい」
瞬く間に提案が集まり、実現のためのシステムやITツールを導入していった。
子どもが卒園した後も関わり続け、保育士の年間休日を13日増やし、有給消化率を80%まで引き上げた。休みを取る前提で業務計画を立て、時間内に仕事を終える意識も浸透していった。
労働環境の改善で、子どもと向き合うことに集中できる環境を整えられたら、保育士になりたいと思う人も増える。そうすれば、子育ての負担も減るのではないか――。
取り組みを広げようと、25年1月、株式会社「保助輪」を設立。伴走支援しつつも、いずれは自走してほしいという思いを社名に込めた。町の自転車店になぞらえ、いつでも困りごとに寄り添う存在でありたいとの思いも込めた。
DXの浸透は時間がかかることが多く、園ごとに適したアプローチも異なる。難しさもあるが、保育士や親の笑顔にやりがいをもらえる。
保育環境は社会情勢にも左右される。外国にルーツのある未就学児を受け入れる際、言語や食事の文化の違いに悩む現場を見たことを契機に、25年4月から大学院に通い出した。
フランスなど移民政策が進む国の事例から学び、現場に生かしたい。27年には調査のため同国を訪問する予定だ。
子どもを持った際、キャリアの選択肢が圧倒的に狭まったと感じたことがある。それでも、その時々で面白いと思う道を選んできたから今がある。
「選択肢を自ら狭めないで」。かつての自分と同じように悩んでいた人を、保育の現場から支えていきたい。
文 石川友理彩






