「お迎え最後じゃなくてよかったね」保育士の言葉の記事で知った「立場の違い」
2024年度4月入所の認可保育園の申請の多くは、10月から12月に行われる。「保育園落ちた日本死ね」が流行語大賞を受賞したのは2016年のこと。待機児童問題に対して匿名のブログに書き込まれたこの言葉は、待機児童数2万3000人をこえる深刻な問題を明らかにしたものだった。 それから7年経った2023年4月、こども家庭庁が発表した2023年4月時点での待機児童数は2680人。子どもの人口が減少している面もあるとはいえ、2021年に初めて1万人を割ったことを考えると、かなりのスピードでの待機児童対策が進んでいることがわかる。 同時に、2024年6月からの施行が検討されている「こども誰でも通園制度」のように、就労要件を問わず時間単位等で柔軟に利用できる新たな通園給付制度も検討されており、子育てを孤独にさせない仕組みが進んでいるともいえる。 しかし、並行して重要なのはやはり「意識」の問題だ。保育園に入園できること、男性育休が増えることはとても大切だが、それ「だけ」ではなく、「家事育児をするもの」という前提の意識改革が必要だ。家族の中で男性でも女性でも、家事育児をしていけばいい。そして「男性だから」「女性だから」ではなく、「家事育児をしながら働く人」に対してのケアも重要である。 地域でのサポートがファミリー・サポート・センター、通称「ファミサポ」。ベビーシッターに近い役割を担う人とサービスを必要とする人をマッチングさせる事業だ。2023年2月からファミサポで「役割を担う側」を始めたという原ゆかりさんは、お迎えに行った際に「お迎えが最後じゃなくてよかったね」という言葉を子どもに言っているのを聞いて、「一生懸命働いている親を誇らしく思っていいのに」とという疑問を抱き、その体験を綴ってくれた。その記事に対しての意見から、多くの気づきがあったという。
様々な立場での意見が寄せられた
前回、ファミリー・サポート事業の提供会員として保育士さんとのやりとりの中で感じた違和感について寄稿しました。記事に対しても改めてたくさんのフィードバックをいただき、またしてもハッとする気づきをもらいました。 記事にする前にどれだけ熟考したつもりになっていても、たくさんの方の声を聞いたつもりになっていても、こんなにもまだ考えが及んでいなかったのか...と、執筆の段階で持っていた知識の偏りや想像できていた幅の狭さを実感する経験でした。率直なご意見を寄せてくださった皆様、ありがとうございます。 この私の記事にはお子さんの立場、そして保育士さんの立場に寄り添った視点が欠けていたと感じました。近年報じられる保育現場での胸の痛くなる事件に触れ、それ自体は許されることではない大前提はありながらも、保育士の方々が置かれている環境が過酷であることや社会一般の保育士に向けられる偏った視点が、保育士のなり手減少や働きづらさにつながっていることを指摘くださる声を特に多く寄せていただきました。 大事な気づきと学びをくださった皆さんからのコメントをご紹介させていただきながら、改めて今感じていることを綴りたいと思います。
「お迎え最後じゃなくてよかったね」「ファミサポにも慣れたもんだね」……ファミサポ提供会員としてお子さんを迎えに行った際に、保育士さんから子どもにかけられた言葉に対して感じた違和感について記した前回の記事。言葉の真意がどんなものだったか……ということのほかに、表現の工夫についてたくさんのコメントを寄せていただきました。
「最後」「~じゃなくて」等の言葉にはネガティブな印象や否定の要素が伴うこと、「お迎え嬉しいね」や「いっぱい一緒に遊べて楽しかった」等、子どもも大人もそれを聞く人がなるべくポジティブに受け止められるような表現を選んで、ワードチェンジしてもらえた方が心地いいこと……同じことを伝えていたとしても、表現の仕方ひとつで受け止める側の気持ちが変わる場合があることを指摘くださるコメントが多数ありました。 また、言葉を覚える段階にある成長期の子どもたちにとって、優劣や競争を意識させるような「早い」「遅い」という言葉は気になる言葉なので使い方に気をつけるべきであることを指摘くださるお声もありました。 実際に、肯定的な言い回しで子どもや保護者の方と接することを心がけられている保育士さんや幼稚園の先生などとのコミュニケーションに本当に助けられた、自分にはできないからすごいと思うと尊敬と感謝の気持ちを共有してくださる方もいらっしゃいました。 言葉一つに傷ついたり、逆に涙が出るほど勇気づけてもらったり……私にも経験があります。肯定的な表現を心がけることで、周りに引っ掛かりを覚えさせないだけでなく、信頼や安心を生むことにもつなげることができるかもしれない。こうして文字を書く機会をいただいている身としても、一層気をつけていきたいなと背筋の伸びるコメントを寄せていただきました。
保育士さんからかけてもらった言葉に救われた

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保育士さんからかけてもらった言葉に救われたという保護者の方々も大勢いらっしゃいました。申し訳なさそうに延長保育ギリギリにお迎えに行った際に、「大丈夫!」「安心して」「自信を持って」「お仕事お疲れ様です」という労いの言葉をかけてもらい、涙が溢れてしまったという経験を寄せてくださったのは、一人や二人ではありませんでした。 また、延長保育を楽しんでいるというお子さんのそばには、ある時間を過ぎると特別な玩具や遊びを用意してくれるなど、お子さんが保護者の迎えを楽しく待てるような仕掛けを工夫されている保育士さんの存在があるという事例をたくさん寄せていただきました。どの方もやはり、そんな風に子どもが延長保育を楽しめる環境を用意してくれた保育士さんに対する感謝の気持ちを言葉にされていました。
大切なのは子どもがどう感じているか
親が立派に仕事をしていることを誇らしく思っていると話す子もいる。でも「さみしさ」を感じてもいたら、その思いも大切にしたほうがいい
前回の記事では、「お迎えが最後」を楽しむ子どももいることについて記載させていただきました。ですが、それでもやっぱり最後になるのは嫌だと思っていたり、友達が先に帰っていくことを見送りながら待つことに寂しい想いをしている子どもがいることは看過すべきでなく、そこへの寄り添いが何よりも大事であることを指摘してくださるコメントが複数ありました。 まずは一番の当事者である子ども自身がどう思うか。子ども一人一人に多様な受け止め方や感じ方、考えがあるはずで、本音をすぐに話してくれることもあれば遠慮した応えを口にすることもある。大人がしっかり状況を子どもに説明して理解を求めることも大事だけれど、逆のベクトルも尊重されて然りで、子どもの思いにじっくり耳を傾けることが大事という声に多くの共感が寄せられていました。 そして「最後じゃなくてよかったね」を聞く、ほかの子ども達の気持ちに寄り添ったご意見もたくさんいただきました。ファミサポとして担当していたお子さんをお迎えに伺った際に聞いた「お迎え最後じゃなくてよかったね」という言葉を受けて、私がその心情を慮ったのはお子さん本人と保護者の方でした。 ですが、思い返すと教室にはまだ子どもたちがいました。その言葉が聞こえていたかもしれません。お友達が先に帰宅することを見送りながらお迎えを待つ身としてその言葉を聞いたらどう思うか、悲しく辛い気持ちになるのではないか……。最後のお迎え=嫌なこと、可哀想なことという刷り込みが、その声がけを受けた子どもだけでなく、周りで聞いている子ども達にとっても心にチクリとするものを生んでしまう可能性を孕んでいることをご指摘いただきました。 ◇子どもの気持ち、親の気持ち、保育士の気持ち……保育の現場では多くの人が様々な感情を持って、「保育」に向き合っている。後編「同じ保育園に通う兄弟、一人が体調を崩したら? 誰にとっても優しい保育環境とは」では、保育士の置かれたシビアな現状や、保育のときに困ったことの率直な親の立場のコメントもご紹介していく。
原 ゆかり(NGO MY DREAM. org設立者、獨協大学非常勤講師)