「2024年問題」の行方 医師確保へ働き方改革急げ

日本経済新聞 朝刊 経済教室(26ページ)2023/9/26 

医療提供の視点からみた2024年度は、まず団塊世代が全員75歳を超え、サービス需要が急増するタイミングだ。一方、ワークライフバランスを重視する医師が近年急増し、命に関わる状況に対処する医療の供給能力が急速に先細りしていく。さらに244月には新たな働き方改革が始まる。

 

 地域差は大きいが、救急のたらい回しや手術の待ち期間の長期化など大きな副作用が予測される。しかしこの機を逃して働き方改革を先送りすると、数年後には日本の医療提供体制は悲惨な状況に陥り、それがどんどん悪化する可能性が高い。働き方改革を進めると同時に、診療報酬改定でも救急、外科系診療科、産科など医師が不足する診療科に医師が集まるような内容の改定を進めるべきだ。

 

 日本の医療提供体制が危機的な状況にある最大の要因は、04年に始まった新しい臨床研修制度だと筆者は考えている。それ以前の新人医師の多くは、診療科間の仕事内容の違いもわからないまま、いきなり大学の医局に入り研修を行った。大学医局で滅私奉公的な初期教育を510年程度受けた現在の50歳以上の医師の多くは「医療の王道は内科や外科。常に週80時間ほど病院にいる。請われれば過疎地でも働く」といった労働観を持つ人が多い。

 

 04年以降の初期臨床研修では、研修医は色々な診療科を回るようになり、「どこの診療科が大変か」を見極められるようになった。さらに午前9時~午後5時の研修時間を厳格に守ることが義務付けられ、現在40代前半以下の医師は、その前の世代の滅私奉公的な研修を経験せずに、最初の2年間の医師としての生活をスタートしている。その結果、価値観の変化も相まって、ワークライフバランスを重視する労働観を持つ若い医師が増えた。

 

 「お産や術後管理などで長時間労働を強いられる手術や救急は避けたい」という若い医師の声に象徴されるように、ワークライフバランスを重視する世代の医師の多くが夜勤のない定時勤務の診療を望むようになった。日本の医療は大都市の軽症向けのクリニックなどの受診は便利になった。一方で、がんになったときに手術をしてくれる外科医や、心筋梗塞や脳卒中が発症した時に対応してくれる救急部門で働く医師が減少し、「生命に関わる肝心な時に診てもらえない」方向に確実に向かっている。

 

 新臨床研修制度が始まるころから「医学部卒業生のうち、外科系診療科の入局を希望するのは12人あるいはゼロ」という話を聞くようになった。特に消化器の手術やケガへの対処をする一般外科への入局者は急速に減少した。198090年代には一般外科を希望する学生が多く、1学年10人以上が外科に入局することも珍しくなかった。

 

 98年から08年にかけて医師総数は249千人から287千人へと15%増え、さらに18年にかけては327千人へと14%増えている。一方、一般外科医に整形外科医・脳外科医・胸部外科医などを加えた外科系医師総数は同時期にそれぞれ5%10%の伸びにとどまった。一般外科を除くすべての診療科では98年から18年にかけて医師数が伸びているのに対し、一般外科ではいずれの期間も減少している。

 

 一般外科医の人数の推移を年齢階級別にみると、2039歳の減少率が突出して大きい。若い世代の一般外科医離れが影響しているとみられる。

 

 こうした環境でも、一般外科医不足がこれまで顕在化しなかったのは、一般外科医の多い現在55歳以上の世代が現役で働いているからだ。だが間もなくこの世代が引退を始める年齢に達し、手術提供能力が急低下することも予想される。

 

 そこへ追い打ちをかけるのが医師の働き方改革だ。244月から実施される医師の働き方改革では、時間外労働時間の上限は原則として年960時間、特例措置として年1860時間という2つの基準が設けられる。所定労働時間が週40時間とすると、年960時間の場合は週にならせば約58時間勤務、年1860時間の場合は約75時間勤務が上限となる。週58時間以上働く医師の大半は大学病院や救急患者を多数受け入れている病院で勤務し、診療科別では救急、外科系診療科、産科などに集中している。

 

 働き方改革とは、救急、外科系診療科、産科など人手不足を現在長時間労働で何とか成り立たせている診療科の労働時間を、強制的に週58時間もしくは75時間に短くする改革といえる。

 

 その結果、第1に夜間にこれまでのように医師を働かせることが困難になり、特に夜間救急患者を受け入れてくれる病院が非常に少なくなる。第2に手術提供能力の低下により手術の待ち期間が長くなり、がんになってもすぐに手術を受けられなくなる。こうした患者自身の命に関わる大きな副作用が伴う改革であることを国民は認識すべきだ。

 

 「子供が熱を出したときに診てくれていた病院が夜間の救急を中止する」「がんの手術を受けるまでの期間が1カ月から4カ月に伸びた」「地元の病院でお産ができなくなる」といった問題が今後生じかねない。

 

 ならば医師の働き方改革を中止すべきだろうか。筆者は問題発生を予想しつつも、医師の働き方改革は予定通り進めるべきだと考える。働き方改革を実施しなければ、救急医、外科系医師、産科医などのなり手がさらに減り、早晩大変な状況になり、年を経るごとにその状況は悪化の一途をたどることが予想される。

 

 こうした事態を回避するには、上記の診療科に進もうとする医師を増やすことが必要だ。増やすために最も大切なことは、これらの診療科に進んでも週58時間以上働くことはなく、ワークライフバランスが可能な生活が送れることを保証してあげることだ。働くのを苦にしない50歳以上の医師が現役で働くいま、働き方改革を進める必要がある。時期が遅くなるほど改革の実施が難しくなるだろう。

 

 働き方改革を乗り切るためにデジタルトランスフォーメーション(DX)により医療の生産性を上げることや、医師から他職種へのタスク(業務)シフトを進めることの重要性が指摘されている。筆者が提案するのは、手術やお産や救急に関わる医師の仕事は大変だが、その代わりに給与が他の診療科より高くなることを明示し、その診療科を目指す医師を増やすことだ。

 

 その具体策は、手術やお産や救急に関する診療報酬の一部を、病院を介してではなく医師に直接支払うドクターフィーを導入することだ。医師が一人前になるには卒後10年以上の年限が必要だ。今から大変な診療科で働く医師に対する金銭的インセンティブ(誘因)導入や働き方改革を契機に医療の生産性を高める取り組みを早急に進める必要がある。そうしないと、心筋梗塞や脳梗塞患者のたらい回しや、胃がん手術を早期に受けるために海外で手術をすることが常態化する国になっていく可能性は決して低くないだろう。

 

<ポイント>

○ワークライフバランス重視する医師急増

○激務の救急、外科系、産科の人手不足深刻

○医師に直接診療報酬支払う仕組み検討を

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